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zoom RSS 守れるか?失うか?

<<   作成日時 : 2009/12/20 02:00   >>

なるほど(納得、参考になった、ヘー) ブログ気持玉 1 / トラックバック 0 / コメント 4

先日更新した記事。

実は、時間がなくて、強引に〆てしまいました。(苦笑

にもかかわらず、真摯なコメントを頂いたり、気持ち玉(このブログの機能)を頂いたり、いろんな形で反響を頂いて嬉しかったです。ありがとうございます。
また、きっとそれだけ皆さんにとっても他人事ではない身近な問題で、いろんな思いを持っているんだな、と改めて思いました。

頂いたコメントにもありましたが、いろんな部分を以前とはやや変えています。(レスではとぼけてましたが・・・
視点、距離感、アプローチの角度などなど。
これからも、その時々で変えようと思います。
そうすることで、いろんな人に、いろんな考え方や思いを持って読んで、文面には出てこない別のメッセージも一緒に読んで頂けたらなぁと思っています。

これからも、たくさんの反応を頂けると嬉しいです。
コメントを頂いても、ダイレクトにブログ上に反映されることはありませんし、「非公開で」と一言添えていただければ公開しませんので、安心してお寄せ下さい。

さて。

自分の子供だけに限らず、身の回りの子供たちを見ていて、
自分が子供の頃にはあったはずなのに、今の子供たちが失いかけているんじゃないか、もしかしたら知らないんじゃないか
と感じる事って、ありませんか?
場合によっては、それを「死語」とかいう言葉(ボクはあまり好きな言葉じゃありませんが)を使って表現する人もいると思いますが。
ぱっと思い浮かぶところでいうと、例えば
「友情」とか、「信じる」とか。

ボクは、今の子供たちは、人との関わり方が、すごく下手になってきているように思います。

↑ 柔らかく書くとざっとこうなりますが、ストレートに書くと

子供たちを見ていて、ゾッとすること、一瞬でも背筋が寒くなることってありませんか?
自分の受け入れがたいことに対して、逆ギレや無視なんて当たり前。
自分の意思表示をするにはあまりに短絡的で、その子にとって、相手がどう思うか、どう受け止めるかなんて、考えても全く無意味になっているようにさえ思えることがあります。

それと、彼らの目って、見ててどう思いますか?
「死んだ目」とかっていう言葉がありますが、そんな目をしてる子を見たことありませんか?
こういう比較は良くないかも知れませんが、前にどこかのドキュメンタリー番組で貧困とされる国の子供たちの様子が映し出されていたのですが、ボクにはその子たちの方がよほど真っ直ぐでキラキラした目をしていた気がしました。

ボクの気のせいでしょうか?
日本というこの国の子供たちは、何不自由なく満たされているはずなのに。

皆さんは、どう思いますか?

実際、ボクは気のせいじゃないと思っています。

もともと、彼等だって大人たちの言うことを正しいと信じて疑わずとても素直に聞いていたし、自分以外のことにも無関心じゃなかったはず。
真っ直ぐでキラキラした目をしていたはず。

子供たちが発している明らかなシグナル。
それを見て見ぬふりする大人たち。
時として、あえて気づこうともしない大人たち。

子供たちは、今何を信じて生きているんでしょう?
ボクら大人たちは、子供たちに何を望んで、子供たちの何を守ろうとしているんでしょう?

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コメント(4件)

内 容 ニックネーム/日時
友情について。
うちの息子をみていると、ナカヨシかナカヨシじゃないか程度。
息子は理解しがたいタイプだから、同世代の友達は出来にくいだろうなと思って見てる。
ナカヨシかどうかも、その日はナカヨシだけど明日は喧嘩して違うってこともある、という感覚。
友情ってものとはほど遠い。

周りについてはわからない。
ただ、生気のない目はあるかもな。
あと、どうでもいいと思った相手へのゾンザイな態度。
これはよーくある。
こういう子は
正直、小さい時からの周りとの関わり方に
ちょっとずつズレが生じてはいたのでは?思う。
あるきっかけで表面化した一つがゾンザイな態度とか
生気のない目とか。

内戦が長期化していた国に生まれ、子供兵士にさせられ、目の前の人を殺さないなら親を殺すと言われては殺人兵士にさせられた子などの、何も分からないまま地獄に引きずり込まれた子も、生気がなかった目をしていました。悲しみにくれた目。幼いながらに絶望を知った目。

そこまでの状況ではないしせよ、
周りにケアされず、大事にもされず、
受容されず来た子って
平和で公平で対等なコミュニケーションは
紡げないと思います。

さて、わが息子は?と思いますわ。

dadamama
2009/12/20 21:38
ダダママさま

確かに、どこに生まれたかより、どういう境遇に置かれたかで、子供は大きく変わってしまいますね。

ひとつ間違いなく言えるのは、子供は自分自身でそうなっていくのではないということ。

全ては、大人の支えが必要だからこそ、大人を信じているからこそ、もたらされている結果の様な気がします。

自分の事でさえ手一杯な大人。
子供たちに教えなければならないことは、山ほどあるはずなんですがね。
うっさん
2009/12/20 23:21
ウチの代表が「認知症」についてのワークショップを、市内の小学校(4年生対象)で開催した後、アンケートに書かれていた子供たちの言葉はとっても素直で、優しくて、読みながら何度も笑えたし涙が出たと言っておりました。
そこには、学級崩壊とか、イジメとか、教師にたてつく子供の姿は全く感じられなかったのに、どこでどうなって、学校はあんなに荒れるのか?
と呟いていました。

「愛される」と、「甘やかされる」

極端な虐待や、放任だけでなく
「甘やかされる」事も
子供の心を蝕んでる気がするのですがね・・・

さて、ウチの息子たちは???
傍から見たらどうなんだろう???





abora
2009/12/23 04:16
aboraさま

いつもありがとうございます。

「甘やかされる」ことと「愛される」ことの違いに気付けなくても「甘やかす」ことと「愛する」ことの違いには、気づこうと思えば気付くはずですよね。
甘やかされたりする(受動的な)のは子供たちで、甘やかしたりする(能動的な)のは大人たち。
やはり大人の責任は、自分たちが思う以上に重く、それを自覚している大人は案外少ないのかも知れませんね。
また周囲の同じ立場の人たちがいい加減であればあるほど、自分が「おかしい」かどうかもぼやけてしまい、「これが普通」なのだと思ってしまう。
そういう曖昧なあたりを行き来している大人に、色々な物事の善し悪しを教えられる子供は結果的に可哀想な気がします。

「子は親の鏡」と言いますが、荒れた子供の姿も、蝕まれていく子供たちの心も、今の大人たちの姿をそのまま写し出しているのではないでしょうか。


ちなみにaboraさん家のお子さんたち、いい子たちで、ボクは好きですよ。
うっさん
2009/12/27 12:09

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